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1930ウルグアイ大会

記念すべき第一回大会は、ワールドカップの生みの親であるFIFA会長ジュール・リメにより、すでに五輪王者に2度輝いていた小国ウルグアイのもとで行なわれた。しかし当時の交通事情で南米に遠征するには3週間にも及ぶ長旅になるため欧州各国が次々と不参加を表明した。それでもジュール・リメの様々な説得や、小国ウルグアイの招待チームの経費を負担すること、首都モンテビデオに収容人数8万人にもおよぶセンテナリオ・スタジアムの建設などの提案により、欧州からはフランス・ルーマニア・ベルギー・ユーゴスラビアの四ヶ国、その他南米からは開催国のウルグアイ・ブラジル・アメリカ・アルゼンチン・チリ・パラグアイ・メキシコ・ペルーの9ヶ国、計13ヶ国によって記念すべき第一回ワールドカップウルグアイ大会は開催された。大会前ほとんどの人々は南米勢の圧倒的優位を予想した。欧州勢と違い長旅による体力の消耗がなく、南米独特の気候にも慣れていたからである。この予想は間違いではなかったが、ただ一つ、ユーゴスラビアだけは健闘し、ベスト4にまで勝ち残った。7月31日決勝はアムステルダム五輪の再現となり、開催国ウルグアイ対隣国アルゼンチンの顔合せとなった。結果は4−2で、開催国ウルグアイが初代ワールドカップチャンピオンとなった。ウルグアイでは決勝が行なわれた7月31日は今なお国民の休日となっている。



1934イタリア大会

ウルグアイ大会の成功に刺激され、第二回大会は欧州勢が次々と参加の意を表明した。その中で1922年に政権の座についたイタリアのファシスト党ムッソリーニは自党の強さを世界に表明するため、大演説を行い第二回ワールドカップはムッソリーニのイタリアで行なわれることになった。しかしこのイタリア大会では初代チャンピオンのウルグアイは不参加を表明した。そしてエントリーが32ヶ国に増えたこともあり始めて予選が行なわれ、勝ち残った16ヶ国がノックアウト方式で勝敗を競った。ブラジル・アルゼンチンの優勝候補が一回戦で敗退するという番狂わせが起こったものの開催国のイタリアは順調に勝ち上がり決勝でもチェコスロバキアを死闘のすえ2−1で下し、ワールドカップチャンピオンに輝いた。しかし彼らは審判からの後押しを受けていたことや、ウルグアイなどの強豪が参加していなかったことなど、アズーリ(イタリア代表の愛称)の勝利の価値は余り高いとはいえなかった。



1938フランス大会

初めて前回優勝国と開催国が予選免除となった第三回大会には開催国の立候補としてフランスとアルゼンチンが名乗りを上げた、そしてジュール・リメの母国フランスでの第三回大会の開催がきまると、不満をもったアルゼンチン他の南米勢が不満を表明、アメリカ大陸からはブラジル・キューバの2ヶ国の参加にとどまった。また当時の世界情勢が第二次世界大戦の予兆とも言うべき暗い影を潜ませていたこともあり、スペインや日本も予選不参加となった。ドイツもまた、オーストリアを植民地としており国からの命令でドイツ・オーストリアの混成チームで出場した。結局ドイツは一回戦で敗退してしまうことになるのだが・・・。決勝は前回優勝国、絶対的キャプテン・メアッツァ率いるイタリアとハンガリーの闘いとなった。そして大会初の2連覇達成となったイタリアが勝利した。イタリアはこの大会によって前回の汚名を返上した。その他にも得点王に輝いたブラジルのレオニダスなど数々の名手が誕生した大会でもあった。



1950ブラジル大会

第二次世界大戦により2大会ぶりに開催された第四回大会は、この大会でブラジルサッカーの人気に火をつけることになるブラジルで開催された。そのシンボルがリオ・デ・ジャ・ネイロに建設された世界最大のスタジアム「マラカナン・スタジアム」であった。収容人数はなんと22万人。国民の誰もがブラジルの初優勝を信じて疑わなかった。またこの大会ではブラジルの提案により、それまでのノックアウト方式は採用されず、2段階のリーグ戦で行なわれた。しかしこの新しい方式によってか、マシューズ、フィニー、ミルバーン、マニオン、モーテンセンなどの歴史に残る名手がそろっていたにもかかわらずイングランドがアメリカに破れるという番狂わせが起こった。優勝の行方をきめる試合は、ブラジル国民の絶対的な後押しをうけ、無類の強さで勝ち上がってきたブラジルと、初代チャンピオンのウルグアイの両国で行なわれた。リーグ戦により、引き分けでも優勝となるブラジルだったが、まさかの逆転負けを喫してしまった。それまで優勝を確信していたブラジル国民はその瞬間、言葉を失ってしまう。悲劇に耐えられなかった4人のブラジル人はその場でショック死。自殺者や殺人など、その日はブラジルにとって最悪の一日となってしまった。今でもこの歴史はブラジルの国民にとって忘れられない出来事となった。



1954スイス大会

この大会からワールドカップは世界の大会となった。予選参加国は最大の44ヶ国にまで上った。アフリカからは3ヶ国が出場し、アジアからは韓国が初めてワールドカップに出場した。この大会は前回のリーグ戦は廃止され、新しい方式が採用された。この大会は当時世界最強、2年前のヘルシキ五輪で金メダルを獲得し4年間無敗を誇っていた「マジック・マジャール」ことハンガリーが優勝候補の筆頭だった。ハンガリーは準々決勝でブラジルと「ベルンの死闘」と呼ばれた試合を制し、予想どうり決勝にも駒を進めた。相手は一次リーグで8−3の大差でハンガリーが倒していた西ドイツだった。決勝はエース・プスカッシュ、チボールが得点をあげ2−0としたが、たちまち西ドイツも2点を得点しおいついた。そして最後は西ドイツ、ラーンの得点により、ハンガリーはまさかの敗退を喫してしまった。そして西ドイツが初めてワールドカップチャンピオンの座についた。



1958スウェーデン大会

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